2020年8月30日(日)~10月10日(土)の日程で予定しておりまた「マナスル登山隊2020」ですが中止いたします。
世界中で新型コロナウィルスが蔓延している状況下、ネパールでは3月22日から国際線・国内線の運航停止措置とられ、官公庁、商店、ホテルなどの営業は中止され、車や人々の往来や登山やトレッキングなども厳しく制限されています。
ネパール政府発表の新規感染者数は、7月3日の740人をピークに徐々に減少傾向にあり、直近1週間では1日あたり100人~150人に減少はしているものの、新たな感染は依然続いています。
7月22日にネパール政府発表によると、7月30日から一部の活動を除きロックダウンが解除され、8月17日からは国際線・国内線の運航も再開されます。
しかし、7月21日に日本国外務省から発出された、各国に対する感染症危険情報では、ネパールの感染症危険情報をレベル2(不要不急の渡航は止めてください。)からレベル3(渡航は止めてください。(渡航中止勧告))へ引き上げました。
感染症危険情報レベル3の国から日本へ帰国した際には、14日間の待機要請の対象になっています。
事実上、感染症危険情報レベル3の国へ、登山のために渡航することは不可能です。
このような状況が、8月末までに改善される可能性は極めて低いと判断しました。
2020年8月30日(日)~10月10日(土)ネパール・カトマンズ発着42日間
世界第8位の高峰マナスル、標高8163m。サンスクリット語で「精霊の山」を意味します。初登頂は、1956年5月9日に今西壽雄・ギャルツェン・ノルブら日本隊によって成されました。1952年の偵察から足掛け5年、4回に渡る大遠征隊を組織した国家的な一大事業でした。世界に14座ある8000m峰の中で唯一日本人によって初登頂された山として、日本人にとって特別な山です。
初登頂以来、国家の威信をかけた大登山隊や、世界の一流登山家だけの領域だった8000m峰の登山に、公募登山隊が組織され始めたのは90年代に入ってからのことです。最初は、技術的な優しさからチベットのチョーオユー(8201m)が選ばれました。当初は、参加者も少なく、登頂率も低く、一般の登山愛好家には厳しいものでしたが、数十年が経ち、近年は装備や酸素器具の性能は年々向上し、長年蓄積されたノウハウを生かした合理的なタクティクスが組めるようになりました。そして、雇われて登山隊をサポートするだけの存在だったシェルパ達が、自覚を持って自国の山をガイドするようになり、公募登山隊は大きく変わりました。マナスルが初登頂されてから60数年、いよいよあなたがマナスルの頂上を目指す番です。
マナスルの東側の山麓の村ダラパニ(1963m)からトレッキングがスタートします。10年程前までは、1週間程度のトレッキングの末にたどり着いたこの村も、今ではカトマンズから7時間程度のドライブで到達できるようになりました。
マナスルの北側のラルキャ・ラ(峠5160m)を超え、西側のサマ村(3800m)へ下り、マナスルを半周する7日間のトレッキングで、4800mのベース・キャンプへ到着します。途中2日間の休養を含む5160mの峠を超えるトレッキング・ルートは、最初の高所順応にちょうど良く、順調にマナスル登山が、スタートできるでしょう。
マナスル氷河のサイド・モレーンの丘の上にベース・キャンプ(4800m)を建設します。少し張り出した丘の上のベース・キャンプは、周囲の山々も見渡すことができ快適です。ベース・キャンプからマナスル氷河を遡り、ナイケ・コルにキャンプ1(5600m)を建設します。キャンプ1の上にはアイスフォール帯が聳えています。雪崩の危険を避けるために、未明にキャンプ1を出発します。アイスフォール帯の傾斜が緩くなったあたりにキャンプ2(6300m)を建設します。
緩やかな斜面を登りマナスルとマナスル北峰(7134m)のコルの下に、キャンプ3(6800m)を建設します。マナスルの肩に設営するキャンプ4(7400m)に向けて、急斜面に張られたフィックス・ロープを辿ります。途中セラック帯の通過や、堅雪や氷が剥き出しのトラバースもあります。
キャンプ4に到着すれば、今まで見えなかったマナスルの本当の頂上が見えます。頂上に向けて広大な斜面を一歩一歩登って行けば、細いナイフリッジの先にマナスル頂上があります。
- 募集要項を請求する
-
coment on Facebook